今日=psd作業

△事象の地平線、女子アナウンサーの世界。

△小説を読んでいる時、物語の様子を脳内でイメージしてみる。公園の様子が描写された時は頭の中に公園が思い浮かべるし、駅前という時は駅前のイメージが浮かびあがる。その公園や駅前というのは一体どこなのだろうかというと、自分の記憶の中から抽出された風景なのだと思う。公園の様子という場面では、自分の記憶に残るほど馴染みがある公園が。駅前がリソースとして働く。もしその場面で殺人が起こっているのなら、自分の記憶の中では、馴染みのある公園で殺人が行われている。

△自分の日常にレポーターが入ってきた瞬間に私たちはカメラの被写体になる。「取り巻き」というものに変換される。時にレポーターに話しかけられ、スポットライトの下に引きずり出される。テレビの向こうの大衆に接続された日常は、そこで輝くことができるかという真実の瞬間の前に立たされる

△今、この深夜にこの公園のこの地面に落ちている枝を見ているのは一体何人いるんだろう。ここには自分しかいないけど、もし3人ぐらい見ていたらどうしよう。例えば深夜のニコ生で今何人の人が見ているとかの表示を見ると安心するが、上記の場合は戦慄する。ニコ生の環境は「人間しかいない」、夜の公園という環境は
「人間以外もいるかもしれない」。つまり幽霊の類を想像する。web上の存在はプログラムの計測によって存在が確定する。対して夜の公園はプログラムの外にある曖昧な環境である。自分はそう認識している。そこにこの木の枝の閲覧回数というプログラムを走らせると見えない存在が数字としてあらわれる。そこに恐怖みたいなものが生まれる

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