About
ctlxy
1991年生まれ 東京出身
2014年 多摩美術大学造形表現学部デザイン科 卒業
2017年 美学校「絵と美と画と術」修了
Statement
私は絵を描く時。色や形をどのように配置したら成立するかということを考えながら描いています。
何を成立させるのかというと。それは何か「存在」のようなものということになります。
我々のような存在は色や形をもって顕れると考えています。
そして存在が現れると時間と空間が現れます。
時間と空間は拠り所やボキャブラリーを発生させます。
また存在はそこにある世界の条件や環境、物質の織りなす結果から現れるものだと思いますが
その世界の要素を否定した形では結果は不十分なものとなり、存在は生まれません。
その世界を肯定して導き出された全ての結果によって存在は現れます。
なので自分が絵を描いている時は、今いる世界を肯定している気持ちになります。
そのような存在に世界は満たされていると、自分は散歩をしている時に感じとります。
目の前には建物が、さらに広げると地形が広がる。足元には地面が、道路の割れ目からは植物が生えている。
砂埃舞う土にはどこからかやってきた小石や種子が混じっている。その表面にはさまざまな皺が、細かい穴が穿っている。
目には見えなくとも自分の手には何らかの細菌やバクテリアが住み着き。または空気を漂っている。
これら全てには色と形があり、時間と空間を生み出し、拠り所やボキャブラリーがある。
それがミクロからマクロへ、またはマクロ→ミクロに連なり、途切れのないフラクタルのようになっている。
そのような色と形の連なりを。存在の連なりを散歩の時に見出し、感嘆とするのです。(2025.02)
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散歩をしていると、物と物、人と人、人と物が無数の組み合わせを持って私の目を流れてゆく。その仕草には猥雑さすら感じてしまうこともある。
際限なく、躊躇なく、意識、無意識思いつく限りに形が、マテリアルがくっついてゆく。
自分は3Dグラフィックの上で児戯と放蕩を行っていると言える。小石や枝を組み合わせて何かを思いつき、連想ゲームやままごとを行う。
3Dグラフィックは計算資源の範囲内で、いともたやすく無数のオブジェクトを所有、編集できる。
それらを児戯のように組み合わせ、自らの詩を以て放蕩のかぎりを尽くすことができる。
散歩、組み合わせ、児戯、放蕩、それらの猥雑さ、奔放さに日々関心している。(2023.5)
Exibition
- 2022.2 Light Brain展Vol.2
- 2021.4 アキバタマビ21 88回展「いまだかつてあるゆらぎ」
- 2019.12 Body/img
- 2019.5 美学校「絵と美と画と術」第10期 修了展「余白」
Interview
- 2022.2 アーティストインタビュー ctlxy(伊東)