今日=psd自制作、台割りなど

 

#高円寺で髪を切った。若返った。

 

#動物にとってのハードウェアを考えてみる。例えばクマだとしたら、ものを嚙み砕く歯というHW、ひっ掻くための爪というHW。鳥ならくちばし、リスならほおぶくろ。動物にとってのソフトはなんだろう。視覚や聴覚などのセンサーによって得た情報を識別し、ハードウェアに伝える思考というものか。動物のハードウェアについて考えてみたら、全て体に埋め込まれている。ソフト(思考)とハードがそのままつながっている。それもほぼ同じ物質で。人間は違う。こっちはたんぱく質、あっちは珪素とか金属とか電波だったりするのだ(主に)。この差は深い。感覚の根底で相容れないところがあるような感じはそれを使っていての障壁だろう。ただたんぱく質でできたスマホをいじりたいというわけではない。緩やかにハードと繋がっている。トナカイのツノに血管が通っているように。私たちが珪素になるか、向こうがたんぱく質になるか。

 

#火というのはずっと見てしまう。その輝きや揺らぎが美しく、そこに「在る」とは言えない存在に、ええ感じにとろける。同じように、心霊写真や念写の類にもそのような美しさを感じることがある。そこに無い人、写せないものが、ぼんやりと浮かび上がっている像。なんでだろう。在るようでない様なものというのは自分たちが住んでいる次元の外にいて、どこにでも遍在している様なもので、悩みとか辛さとかなさそうで無敵という感じがする。その憧れを美しさとともに鑑賞している様な気がする。

 

#今日、コンビニでの会計の際財布を開けてみると、小銭の中に500円玉が、と思ったものが5円玉だった。道を歩いていると遠くで白いビニール袋が舞い上がった。と思いきやそのまままっすぐ落ち、途中で止まったと思ったらまた垂直に登っていた。空中でビニール袋が上下している!怖い!と思ったがよく見たら清掃のおばちゃんがガラスを白い雑巾で吹いていて、おばちゃんの姿が角度によって見えず、ガラスも透明なため、白い雑巾が空中で上下していて、それをビニール袋と間違えた自分が小さくあわあわしていたのだ。いくら勘違いでもあの高円寺の路上の重力に異常が起きていると脳は感知したし、その時の衝撃も脳に刻まれ、普通にしていても今後の人生に2ミリぐらいの影響を与えるだろう。5円玉も確かにあの瞬間は500円玉になっていた。5秒間だけ。500円玉

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