改めて思ったのだが、自分は現世に未練がないのかもしれない。
あらゆるコンテンツが飽和状態で、人間の種としての限界もあと2,3歩先に待ち受けている。
大河ドラマの最終話の3話前のような状況に何を期待すればいいのか
白紙のキャンバスならぬスーパーのチラシの中を生きているようなきぶん。
しかしそんな状況でも人間に対して興味を持つ自分がいる。
この人はなぜこんなことを考えるのだろう。なぜ生きているのだろうと
話すほどに隠された情報を持つ人間を面白く思う。 彼らはチラシの裏の隠された大地。未だ開拓されていない豊かな土壌。
果たして、種の限界が来たとしても。彼らは有り余り続ける資源なのかもしれない。いや、そうであってほしい。
これが現世に対する未練だとするならば、最初の1行は一時的な催眠の一つなのかもしれない。
進行中の催眠に気づきながら、催眠とともに暮らすというのもこの現世の一種の豊かさなのだろうか。